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メール・マガジン
「FNサービス 問題解決おたすけマン」
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★第075号 ’01−01−19★
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アンラーニング
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Unlearning:
習慣などをわざと捨てること
意識的に忘れ、学び直すこと
●「学習棄却」という4文字
に訳され、90年代早々、一旦は広められたが何故かあまりウケず、
長続きしませんでした。 それが近ごろまた、目や耳に入るよう
になりました。 もうゴマカシは利かない、、 からでしょうな。
マスコミは常にキーワードを必要とします。 アンラーニング!
しかしそれは唱えるだけ。 自らは実行などしない。 当時は
一般企業でも実施例が少なく、手元にメモ一つ残っていないくらい。
それだからこそ、の愉快?な思い出があります。
*
EM法講師同僚のピンチヒッターとして、急に私がK社での研修を
担当することになり、さっそく予備知識の付け焼き刃、、
幸い本屋で、同社をテーマにした1冊を発見。 それがたまたま、
「アンラーニング革命−−K社の明日を読む」 (ダイヤモンド社
'92年
4月)。 その冒頭に、こう書いてありました。
<アンラーニング>こそK社の人事政策の根幹である。 自己
否定によって<これまで>を脱却する者でなければ、今後経営
幹部としては、、云々。
ごもっとも、こりゃ波長が合いそうだ。 そもそもEM法研修の
受講者は<将来の経営幹部>(ということになっている)。 当然
K社でも、<特に選ばれた人たち>が待ち受けているはず。 なら
<アンラーニング支援促進ツールとしてのEM法>だ、と語り口を
決めました。 そして、行ってみると
幸い?教室の隣は図書室、その本棚にはもちろん<その本>もあり
ました。 そこで開口一番、「御社ではアンラーニングが、、、
そのことを私は<本>で読みましたが、皆さんも、、?」
と尋ねてビックリ、ガッカリ。 その本を読んだ人がいなかった
だけでなく、<アンラーニング>なる語もご存知なかったのだから。
おやおや、本の記述とこの現実、まるで一致しませんな、、
とはもちろん言わなかったが、トークの立て直しにアタマは大忙し。
ともかく無難に研修を終え、K社を我が同僚の手に返しながら彼に
訊きました。 「アンラーニング革命って本、あなたは、、?」
はい、お察しの通り。 彼も知らなかった、もちろん読んでない。
普段<勉強好き>を自称していた奴、、 だったんですが、ねえ、、
* *
世の中の様相があまりにも変ったので、過去の成功体験が通用させ
られなくなった。 生き残るには考え方を変えなくちゃ、、、
とは誰も思う。
しかし、いざとなると、
なまじの<知ってる>、<出来る>が邪魔する。 新しく何かを
学ぶにも、ちょっと待ってくれ、や、まさかそんな、の抵抗が生じ、
吸収を妨げる。 まず必要なのは、ご破算で願いましては、の心。
それがアンラーニング、厳しく言い換えれば<自己否定>。 どう
おっしゃるもご自由、要はそうすれば良いだけのこと。 だが、
例によって「行なうは難し」。
それは不思議でない。 これまで上に立って来たのは、日本経済
の高度成長期に第一線で腕を振るった人々。 その自負で無意識
的に<過去>や<伝統>にとらわれてしまう。 やむを得ない。
<今>どうあるべきか、何をすべきか、には<今>の感覚が必要で、
それはむしろ<下>において豊富。 しかし<上>はプライドが
邪魔してか、謙虚に学べない。 結局、ズレたリーダーに、、
そんな点をトヨタはうまく克服しました。 「何でも良い
から若者向けのアイデアで作って見よう」、というトップの
発想でVVC、バーチャル・ベンチャー・カンパニーを若い
人たちにスタートさせたのが97年8月。
それが異業種を巻き込んだ<
Will >プロジェクトに発展し、99年8月、<
Will VI >を生み出した。 女性を狙って、シンデレラの<カボチャの馬車>に似せたという珍スタイル。
道理で息子たちも私も、全然感心しなかったわけだ。
これが<本社>にも刺激を与え、30歳代の、まるでトヨタ
マンらしく見えないコンビが<
dB >をデザイン。 そのプレゼンテーションに役員たち声なし。 「僕らがどうこう
言う車じゃないな」、というトップの声で<消極的>に承認。
95年8月社長就任以来、「変わらないことは悪」で改革を
進められた奥田現会長にして「社内だけで刺激を与えること
は難しい。 現実に刺激になるものを作ってやらないと、、」
のVVCでしたが、、 見事的中、トヨタは変わりました。
* * *
企業組織の一側面は<企業内の権力関係>。 権力は変化を嫌う
もの。 <過去の成功>こそ自分の存在意義、棄てる勇気など、、
無いのが人間。 あの町で、あの親たちから生まれ、あの学校で
学び、あのような友人たちと共に育ち、これを職業として今まで、、
それが自分なのだ、という認識。 それを心の支えとする人生、、
そうした<記憶の体系>が、即ちその人の<人格>なのだ、という。
その記憶を棄てろ? 人格を棄てろ、だと? 冗談じゃない!
の感じなんでしょうね、<自己否定実行困難>の背景たる心理は。
「変わりたくない!」のは自己愛ゆえ。 普段それほど好きとは
思っていなかった<自分>が、やはり好き、、。 往年の名歌手
アル・ジョルスン、「次にお聞かせするのは
" The One I Love " 」と言ったあと、「
, that's me ! 」とおどけて付け加えました。
もちろん冗談、本来は<恋人>の歌ですから。 しかし、遺伝子は
「オレが好きなのはオレ」と叫ぶ。 生きている限り、自己愛の
権化なんですよ、誰でも。 浪花節<次郎長外伝・森の石松>の
名文句に載せて言えば、「<自己愛>は死ななきゃ治らねえ、、」
変わりようの無い人たちが作った風土、それが特に強固なトヨタで
あればこそ、「その中で強いるよりは、、」と全く隔たった環境を
設け、それを起爆剤として機能させた。 いわば<変化球>方式。
* * * *
なら、<直球>勝負で、という企業もあります。
たとえば三菱自動車で本年4月以降に予定している人事刷新。
能力主義的人事評価制度で積極的に<差別>して行くという。
そのため、社長直轄の企業改革チームが編成されたが、その
メンバーは特に選抜された課長たち。 体制が改まった暁
には部長となる予定の人々です。 園部社長は、「今まで
と違うことを、これまでの部長たちにやらせることは無理だ。
自分の今までを否定できないから」と率直におっしゃる。
<人>に変わってもらうことは難しい。 だから<人>を
替えて推進するほかあるまい、と。 たしかに、一つの案。
だが、<環境変化>を痛切露骨に強いる、気の滅入る案、、
<これまでの部長たち>、さぞ傷つくことでしょう。 が、彼ら
も<これまで>、同期の桜多数を蹴落として来たはず。 因果が
巡って来ただけさ。 進塁なきデッド・ボール! コタエルね。
抜擢されて鉈を振るい、いずれ新体制の部長となる人たちにもさぞ
大きなプレッシャーに違いない。 しかし、大組織の中で緊迫感
を醸成・維持させるには、その位の仕掛けが必要なんでしょうな。
* * * * *
しかし直球、変化球、どちらにしても、<上>から投げられたタマ。
それを待つようでは、ドラッカー教授の言われる
< Change Leader >たり得ませんぞ。 まず隗より、、自ら変わって行かなくちゃ、、
**********
●憶えていなくちゃいけない、
大切なことほど忘れたり、思い出せなくなったりする。 そのくせ、
「忘れろ!」と言われると棄てられない。 厄介なもんですな。
モノだったら物理的に始末できるが、知識や技能はすでに体の一部、
引き剥がせません。 棄てた<つもり>でも無意識的に、いや、
意識的に制御しないからこそつい、行動に表われてしまう。
若者が過激な自己流にコダワルのを「ツッパッてやがる」とオトナ
は蔑むが、ひとのこと、言えるかな? そのオトナ自身、昔風の
考えから抜け出せずに、やはりツッパッて、いたりするのだから。
たとえばジョルスンがトップ・バッターを務めた<トーキー映画>、
その発明を聞いて、シャチョーが喜んで飛びついたか? ノー!
「俳優が喋るのなんか、いったい誰が聞きたいと思うんだ?!」
その映画を作って儲けた、ワーナー・ブラザース、H.M. ワーナーの
第一声がこれだったそうです。
無声映画をメシのタネにして来た<弁士>が思わず叫んだのならともかく、という今は笑い話。
認識外のことに遭遇すると、普通、まず抵抗を感じるものだと言う。
だから成功体験を有する人ほど、つまりエライ人ほど、または一生
懸命型の人ほど、実はツッパってしまう危険性が高いわけ。
ある意味で、彼らは<他を否定すること>によって成功して来た人
たちですから、その自分を否定するなんてこと、受け付けられない。
それは多かれ少なかれ、誰しも。 即ち<アンラーニング>は、
一人一人に大いなる勇気とキャパシティを求めるのです。
*
しかし、急には勇気も湧かない、ましてキャパが増えたりはしない。
人間なんて変わりようの無い代物。 もし少々変われるとしたら、
フランスの諺に「変化とは内側からしか開くことの出来ないドア」
とあるように、その人がそう決心した時だけ、でしょう。
ところがその<内側>は、問題の<知ってるつもり><分かってる
つもり>で一杯。 だから普通、自分からドアを開くことなんか
無い。 まずそれを追い出さなくちゃ、、 のアンラーニング。
変革期のリーダーが発揮すべきは<知的リーダーシップ>。 当然、
人一倍の勉強が、それには人一倍のアンラーニングが求められます。
何か、自らをそれへ駆り立てる<仕掛け>が無いことには、、
* *
一つの方法、「オレは変わったぞ!」と職場に宣言してしまうこと。
ちょっとワザとらしいが、キッカケは何でも宜しい。 異動でも、
海外出張でも、研修受講でも、何なら<霊感>でも、、
宣言した後なら、かなり変わったことをしても<看板に偽りなし>。
変わらなければ、むしろ笑い者。 自然、励まざるを得なくなり
ます。 一つ当たれば自信が湧き、次へ弾みがつくでしょう。
しかし、これはアイデア・マン向き。 フツーだとたちまちタネ
が尽きて、失速することになりかねません。
* * *
それほどあなたが苦労して<変わる>必要が無い、という点で私が
お奨めするのは(そら来た!)Rational Process の活用です。
何せ、<気づき>のためのツールですから、これを用いれば、周り
の<変わったこと>がたちまちを浮かび上がる。 それをタネに
すれば宜しい。 アイデアで行き詰まることが無くて済みます。
たとえば、問題の<つもり>に妨げられがちなベテラン・リーダー
においては、まず<状況分析:SA>です。 メンバーの関心が
どこにあるか、その背景にどんな現象や事実があるのか、と迫れば
「今はこれ!」が難なく見いだせるでしょう。
<決定分析:DA>は誰にも、どんな局面でも効果をもたらします。
「何を
MUST とすべきだろうね?」、「キミにおける最大の WANTは何だろう?」、「このマス目に、彼なら何を書き込むかな?」、、
もちろん、あなたの考えで記入することは大切ですが、それは周囲
から知恵を引き出す<呼び水>。 空欄多々のまま、彼らに示す
のでも宜しい。 想像もしなかったような反応が得られますよ。
それへ「やあ、有り難う!」、「いや、大したもんだ!」と応じて
促せば、さらに捗るでしょう。 プライドなんてカンケーなし。
<変わってる>のが認められてリーダーに抜擢された若い人たちに
おいては、まず何よりもPPAです。 うまく行くはず、の案も
シミュレーションしてみたらアナだらけ、、 ということもある。
ワークシートがそれに気付かせてくれるでしょう。
以上のいずれにおいても、改めて<自己否定>なんてツライことを
唱えず、しかもそれに相当する効果が挙がる、という点が共通です。
自説にこだわらず、他の知識を呼び込み、これまでとは違った結論
を生み出す、、 無理も苦痛も無く、ほとんどオートマチック。
即ち、<
Rational Process は、アンラーニングのツール>!
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IT技術の進化浸透によって、ハード、ソフト共に陳腐化は速まる
一方。 1年も経てば知識やデータはもう役に立たなくなります。
常に鋭く目を配り、必要と判断した新知識は迷わず取り入れ、前例
などにとらわれず駆使し、変化に対応、いや、積極的に先取りして
競争に勝たなくてはなりません。 オチオチしていられない時代、、
迅速に判断を下すには、自分としての、企業自体としての、在り方
や進むべき方向の基準をシッカリ、かつ柔軟に、持っていなくては
ならず、しかもその上で、常に模索し続けるタフネスが必要です。
ご苦労なことですが、技法を活用すれば少しは楽が出来るでしょう。
Rational Process は
<当面の実際的な基準>設定のツールでもあるのですから。
■竹島元一■
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